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忘れないあの日

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はじめまして。制作部の佐々木です。
今年で2年目のPMです。
映画と音楽とフランスをこよなく愛すアラサーです。
以後お見知り置きを。

さて僕は以前、某テレビ局の報道局で働いていたのですが、
いろんな事件、事故、災害を前職で経験してきました。
その中でも忘れないあの日の出来事を、今回こちらのブログに書かせていただきます。


2011年3月11日14時46分18秒


ぐら....ぐらぐらぐらぐらっ!!!


そのとき、僕は当時いた職場で翌週に控えた仕事の準備をしていた。

徹夜作業で寝ぼけ眼だった僕は最初、地震だと気づかなかった。
気づいた時には、倒れそうになる側の棚を必死に抑えていた。

「宮城震度7!!」

揺れが収まるか収まらないかの内、報道フロアの隅から大声が飛び込んで来た。
僕はすぐに報道フロアにある副調整室に駆け込み、地震報道のOAに望んだ。

「大津波警報発令されたぞ!早く速報打て!!」
「ネット局に回線つないで天カメの映像よこせ!」
「中継ヘリはもう飛んだか?!」

僕は何度か地震の報道には慣れていて、ある程度冷静に対応出来ると思っていたが、このときばかりは違っていた。

『実家が震度6強......家崩れてないか?』

そう、実家の近くが震源地だったのだ。

とりあえず、僕は合間を縫って家に電話してみたが全くつながらない。

一抹の不安は感じつつも、
大津波がくるといっても実家にまで来ることはないだろうと思っていた。
家族の職場は海の近くだったが、過去の教訓できちんと高台に避難しているだろうと
思っていた。

「きっと大丈夫。」
そう自分に言い聞かし報道していた。


しかし、目の前にあるたくさんのモニターが想像を絶する現場の映像で被いつくされてうちに、これは尋常じゃないぞと思い始めた。

仕事の合間を見つけては何度も電話を鳴らすが、一向につながらない


途中から仕事どころでなくなった。


情報の最前線で働いていたはずなのに、実家の被害状況が全然つかめない。
どこまで波は到達しているのか?家の付近は火災とか起きてないか?
それより家族のみんなは大丈夫なのか?


カメラの届くところしか、情報を得ることが出来ない歯痒さ。

次々と飛び込んでくる最悪の情報たち。

『どうか、みんな助かっていてくれ。』

僕は、増す不安とともに11日の夜を過ごした.......


その三日後、僕は被災地に仕事で向かわせてもらい、
家族の無事をこの目で確認出来ました。
ただ、小さい頃から見ていた景色はそこから消えてなくなっていました....

あれから三年が経過しました。

みなさんは2011年3月11日、何をしていましたか?

僕はあの記憶を、あの時感じた思いを、
絶対に忘れずにこれからも進み続けたいと思います。

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